『彼方からのうた -SONG FROM FAR AWAY-』
SPECIAL TALK〈番外編〉
作:サイモン・スティーヴンス × 翻訳:髙田曜子 × 演出:桐山知也
7月中旬、稽古場とロンドンをオンラインでつなぎ、本公演パンフレットのための鼎談を実施。真摯で饒舌なサイモン・スティーヴンスを交えた会話は予定時間をすぎても止まらず、大いに沸いた。せっかくなので本作品以外についての語らいを公開。公演パンフレットの鼎談とあわせて、ご一読を。
── サイモン・スティーヴンス作品は日本でも人気があり、たびたび上演されています。ナショナル・シアター・ライブでも日本で観る機会があり、今年5月からは2024年ローレンス・オリヴィエ賞 演劇部門リバイバル賞を受賞した『ワーニャ』が日本各地で上映され、好評を博しています。
スティーヴンス それについては世界各地で言われますが、まあ、それは、(主演俳優)アンドリュー・スコットの人気のおかげです。
桐山 それだけではありません! サイモンさんの翻案も素晴らしかったです。
スティーヴンス ありがとうございます(笑)。
── 今秋には『広い世界のほとりに On the Shore of the Wide World』(2005年初演)が広田敦郎さんの翻訳で上演されます(2024年10月、あうるすぽっとにて上演予定/劇団昴公演、眞鍋卓嗣 [劇団俳優座] 演出)。そして、桐山さんはサイモン・スティーヴンス作品の演出がつづきますね。今年8月上演の『彼方からのうた-SONG FROM FAR AWAY-』、そして来年には『ポルノグラフィ PORNOGRAPHY』(小田島創志 訳)と『レイジ RAGE』(髙田曜子 訳)の同時上演を控えています(サイモン・スティーヴンス ダブルビル『ポルノグラフィ PORNOGRAPHY / レイジ RAGE』2025年2・3月、シアタートラムにて上演予定)。
スティーヴンス このダブルビルは、とても素晴らしいアイディアだと思いましたし、本当に嬉しく思っています。『ポルノグラフィ』(2007年初演)と『レイジ』(2018年初演)は時を同じくして書いたものではなく、内容も多くの面で違っているのですが、インスピレーションがわく組み合わせだなと思いますし、2本の戯曲を同時に掘り下げることによって共通する何か探求すべき点があると思ってくださったことは光栄です。
桐山 ありがとうございます!
スティーヴンス 『SONG FROM FAR AWAY』(2015年初演)もそうですが、僕の書いた戯曲が日本のお客さまにどう届くのか、いつも楽しみなんです。観客というのは、それぞれの国や地域で本当に違うと感じますからね。
── ご自身の作品が日本の観客にも支持されていることについて、どのように思われていますか。
スティーヴンス それは、日本のお客さまが僕の世界の見方にどう共鳴しているか、という質問だと思うのですが……、それを推し量ることはとても難しい。なぜなら、実際にお客さまと客席を共にしないとわからないからです。東京芸術劇場(プレイハウス)で世界初演を迎えた『FORTUNE』(2020年初演/パルコ・プロデュース/ショーン・ホームズ演出)のプレビューで客席に座った時、英国と日本の観客とでは拍手の仕方一つとっても違いがあり、それぞれの伝統や文化には大きく違いがあることを実感しました。
髙田 ただ、サイモンさんの戯曲にはなぜか通じるものを感じるのです。東京など日本を舞台にしているわけではないのに。
スティーヴンス それは英国と日本には真の類似性、本当に似ている部分があるからかもしれませんね。その類似性がゆえに、英国で探求・追求されていることが日本にも共鳴するのかな。だから僕の戯曲に限らず、この二つの国で語られる物語のタイプが共鳴し合っていて、それでお互いが理解し合えているのではないでしょうか。
たとえば、まずは島国であること。そして、近隣の大国たちと複雑な関係にあり、それらの国々と対話をし続けているということ。どちらの国も美しい歴史もあれば、非常に複雑な過去も抱えていて、自分たちの歴史に対して何とか整理をつけようとしているということ。英国の場合、過去の植民地支配や奴隷売買についての問題が挙げられますが、その残虐な歴史に対して確認し、整理をして、理解しようと心掛けています。内容は違えども、日本にもそういう部分があるのではないかと僕は思います。
桐山 『SONG FROM FAR AWAY』もそうですが、サイモンさんの戯曲から、美しくもあり悲惨でもあった過去への興味と言いますか、そういう過去とどう向き合うのか、あるいは、過去に向き合わないという事態がなぜ起きているのか、ということについて考えさせられることが多いように思います。
スティーヴンス 僕は戯曲を書くうえで、そういうことを具体的に説明したり、何か指し示したりといったことはないけれども、自分たちの過去に理由や理屈を見つけながらも、美しい過去を大切にしたいという姿勢が表れているのかもしれません。それに英国も日本も、巨大な力を誇示し繁栄した過去がありますよね。それを振り返った時の悲哀や哀愁といったものを、どう理解して納得しようとしているか、ということも僕の戯曲の中に表れているのかもしれないな、と思います。
髙田 国として自分たちの過去・歴史について、美しい部分も醜い部分も振り返る/振り返らないという大きな視点のみならず、やはり人間一人ひとり、個人としても振り返るのかどうか、ということがリンクするように思います。
スティーヴンス もう一つ大きな共通点は、どちらの国も資本主義に支配されているということ。
桐山 サイモンさんの戯曲には常に「経済と人」が描かれていますからね。
スティーヴンス 『FORTUNE』、『Birdland』(2014年初演/2021年、髙田の翻訳でパルコ・プロデュースにて上演)、『ポルノグラフィ』、『レイジ』、そして『SONG FROM FAR AWAY』と、それぞれ戯曲の形式やトーンは違うけれど、いずれも人間らしさと経済の関係について問い掛けています。英国・ロンドンにとって、とても重要な問いだと思って僕は書いているのだけれど、それは東京にも共通して言えることなんじゃないかな。
桐山 サイモンさんが先ほど言っていた社会的背景や歴史はもちろんのこと、資本主義についての共通点は僕も感じています。
髙田 サイモンさんは人間の美しくきれいな部分も汚く残酷な部分もすべて、フルカラーで描いているところも素晴らしいと思っていて。人間を多面的に描いていることが、日本のお客さまにも支持されている理由の一つなのではないかと思っています。そのうえ、人間のちょっと愛らしい部分も描いているところが私は好きで、そういうサイモンさんの戯曲をこれからもたくさん紹介していきたいと思っています。
スティーヴンス ありがとうございます。ゴーチ・ブラザーズの皆さんをはじめ、日本のプロデューサーや制作の皆さんには本当に支えられています。皆さんは芸術を信じている。だからこそ僕だけでなく、『FORTUNE』と僕が翻案した『桜の園』(2023/パルコ・プロデュース)を演出したショーン・ホームズさん、『FORTUNE』の美術と衣裳を手掛けたポール・ウィルスさん、『桜の園』の美術と衣裳を手掛けたグレイス・スマートさんといった、日本での上演でコラボレーションしたイギリス人アーティストに対しても敬意をもって接してくださるのでしょう。
以前は、母親以外に僕の芝居を気に入ってくれる人がいることに驚いていましたが(笑)、今こうして、日本という国でも共鳴していることは本当に驚きでしかありません。少年時代から、小津安二郎や三島由紀夫をはじめ、日本の作家、映画監督、音楽家によるさまざまな作品を通じて日本を想像してきました。僕の中で日本は魅惑的で驚嘆に溢れた国なのです。今その日本がある意味、僕の「home」と言える活動の場の一つとなっていることに本当に感動しています。